バイブルメッセージ Bible Message

主はわたしに報いてくださった(詩編13編)

2017年 9月 11日

主よ、いつまで

詩編13編2―3節で、ダビデは四度も「いつまで」という言葉を繰り返し、思い煩い、嘆きを訴えています。「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか」「いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか」。ダビデにとって、主の御顔を仰ぐことができない、つまり主の臨在を失っていることほどの苦悩はないからです。

更に3節の後半では「いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか」とありますが、敵対する者が、お前の神は、どこにいるのか。何をしているのか。なぜ、お前を助けようとしないのかと言ってくるのです。

一つの苦難にまた別の苦難が重なっていき、祈っても祈っても一向に光が差し込んでこない。誠実に歩んできた信仰者であればあるほど、現実の世界と信仰の世界とのギャップに、精神的な苦痛を覚えます。

わたしたちも「この苦難は、この病いはいつまで続くのですか」「道が開かれるために、いつまで、待つのですか」と訴えることがあります。「いつまで」という叫びは、自分の外側に目が向いているので、そのままならば、闇が深まるばかりです。

 

わたしの目に光を与えてください

しかし、ダビデは「わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え わたしの目に光を与えてください。」(4)と自分の内面に目を向けていくのです。

その時ダビデは、神が御顔を隠しているのではない、自分が苦難の中で、御顔を仰ぐ信仰を失いかけている、そのことに気づきました。

 

主はわたしに報いてくださった

するとダビデは、主への揺るぎない信仰を回復し、「あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います。」「主はわたしに報いてくださった」(6)と告白します。

「報いてくださった」とは惜しみなく与えてくださるということです。主は惜しみなく御自身の命を与え、わたしたちを救い、主を喜び躍り、讃美するものとしてくださったのです。

ダビデは、「報いてくださった。与えてくださった」と完了形で述べています。自分を取り巻く外側は変わっていなくても、心の目が開かれ、信仰が回復したダビデは、既に起こったと信仰の目で見ているのです。自分の罪、病い、痛み、傷、すべてを贖ってくださった主イエス様の救い、癒し、解放を既に見ていたのです。

今教会には重い病の中で長く祈られている方がおられます。主に「いつまで」と何度となく祈ったことです。しかし、今もう一度、慈しみ深い主に依り頼み、そして、「主はわたしに報いてくださった」ことを信仰の目で見ながら歩みを進めてまいりましょう。

 

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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