バイブルメッセージ Bible Message

主イエスを見つめながら(ヘブライ12・1―2)

2018年 7月 1日

ヘブライ12章1節では、信仰者の歩みが、走り抜くべき競走、レースとして語られております。

 

おびただしい証人の群れに囲まれて

 

通常の競走は自分一人で戦っているように思えますが、実際には、その選手を支えるコーチスタッフ、観戦者、テレビ、インターネットを通して世界中の人たちが観戦し、応援しています。その選手は多くの人に囲まれているのです。

 

わたしたちの信仰生活においてはそれ以上で、同じ信仰を持つ家族や友人に囲まれているだけではなく、韓国のクリスチャン、中国のクリスチャン、世界中のクリスチャンに囲まれているだけでもありません。既に天に挙げられ、勝利の栄冠を手にしているおびただしい信仰の証人に囲まれています。(ヘブライ11章)囲まれているというのは、その人たちに見守られ、祈られているということです。

 

そして、これらの証人は、信仰の創始者であり完成者である主イエスと共にある人たちです。主イエスは、天の御国で、神の玉座の右にお座りになり、わたしたちのことをいつもとりなしてくださっています。そして信じる者の内に聖霊様を通して共にいてくださいます。わたしたちは、一人ではないのです。いつも主イエスとおびただしい信仰の先達に囲まれて生きているのです。

 

かなぐり捨てて

 

そうである以上、わたしたちはどうするのでしょうか。「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨て」るのです。

 

通常の競走、レースにおいて、重い荷物を負っていては、競走に勝つことはできません。最近、短距離走の選手のユニフォームは、軽いだけではなく、空気抵抗を防ぐために体と一体になっています。選手はできるだけ身軽になる必要があるからでしょう。

 

わたしたちの信仰のレースも同様です。すべての重荷を捨て去るのです。しかし、それは不要なものをゴミ箱にポイと捨てるように簡単にはいきません。罪や傷、痛みなどの重荷は、わたしたちに絡みついているからです。

 

しかし、わたしたちがその重荷、絡みつく罪を捨て去ると決断し、イエス・キリストの十字架を仰ぐならば、あらゆる重荷から解放されます。ですから、主イエス様だけを見つめながら信仰のレースを続けることが重要です。

 

ペトロが、湖の上でイエス様を見つめながら湖の上を歩くことができたのに、急に風が吹いてきて、不安になりイエス様から目を離した瞬間おぼれそうになりました。なぜでしょう。それは、不安、恐れという重荷がペトロにのしかかったからです。ただ主イエスを見つめつつ、主の十字架を仰ぐならば、その十字架に、すべて重荷を下ろすことができます。

 

忍耐強く走り抜く

 

そのときわたしたちは「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜」くことができます。なぜならば、主イエスは「御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになった」方だからです。この信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら、目を離さなければ、わたしたちは、忍耐強く競走を走り抜くことができるのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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