バイブルメッセージ Bible Message

今は主に結ばれて、光となっています。

2018年 11月 1日

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エフェソ5・8)

 

あなたがたは、以前には暗闇

 

興味深いことは、「暗闇の中にありました」ではなく、「暗闇でした」と言っていることです。もし「暗闇の中にありました」と言うなら、暗闇の中にあっても自分は暗闇ではない、と言えるかもしれません。けれどもパウロは「あなたがたは、以前には暗闇でした」と断言しているのです。それは、光の神である主イエス・キリストに結ばれずに生きていた状態自体が光を失った暗闇そのものだからです。

 

暗闇の業とは

 

11節に「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」とあります。「暗闇の業」とは、何でしょうか。おそらく多くの人は、暴力団、麻薬売買、先日のトルコでのサウジアラビアジャーナリストの殺害事件等想像するでしょう。

 

先週全国教誨師大会で、被収容者、受刑囚のカウンセリングを担当する方の講演がありました。その方が、麻薬所持で捕まった受刑囚を担当したとき、まず彼に寄り添い、話に耳を傾けていくと「自分は親からも、周りから一度も愛された経験がなかったし、生きていて良かったと思ったことがなかったが、麻薬と出会ったとき、自分はこの世に生まれてきて良かったと初めて思った」と彼は話したのです。麻薬は人に快感を与え、やがてその心と体を蝕むもので決して手を出してはいけない薬物ですが、その麻薬に出会ったとき「自分は生きててよかったと思った」とは何と悲しい人生でしょうか。彼はこの後自分を受容してくれる存在によって、この人の心は開かれ、麻薬を断ち切る決心ができたのです。

 

「暗闇の業」がなぜ生まれるのか、それは、その人が愛と憐れみに反する言葉、行為によって傷を受け、生きる希望を失い、その人自身が暗闇となってしまったからでもあります。そして愛の欠如した無慈悲な言葉や行動は、この世界に住むわたしたちと無縁ではないのです。わたしたちは皆「以前には暗闇」だったのです。

 

今は、主に結ばれて光

 

しかし、パウロはこう続けて語るのです。「今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」この所でもパウロは、「今は光の中にある」とか、「光に照らされています」ではなく、「今は主に結ばれて光となっています。」と述べています。

 

天地創造の神は光の神です。「地は混沌で暗闇に覆われて」いましたが、神が「光あれ」と言われると「光があった」のです。ところが人間の罪の堕落により世界は暗闇で覆われ、人は暗闇となりました。しかしその世界に、主イエスは真の光として来られ、主に「従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」ようにしてくださいました。わたしたちは、光に照らされ、光の中に入るだけでなく、命の光を持つことができるのです。光である主イエスに結ばれるならば、わたしたち自身が光となる。この世の暗闇がどんなに深くても、わたしたちが暗闇を照らす光となることができるのです。

 

先日お召されになられた内藤照子姉は私生児として、生みの母親の兄夫婦の養子として育てられる中、心ない大人から「お前は、どこから来たのか。もらいっ子だろう」と言われ苦しみました。まさに暗闇の業です。そして、そのような中で、育ての親が真実を明かさないことが不満で、不信感を抱き始め、自分の心がねじれていき、ひどく哀しかったと告白しておられます。だから照子姉も暗闇だったのです。しかし、クリスチャンの羽仁もと子さんの婦人の友の「友の会」に入られ、そこで、後に信仰の友となる吉野姉、林部姉、荻村姉と出会い、聖書の学びに導かれ、主に結ばれて光となられたのです。

 

わたしたちは皆、かつては暗闇でしたが、主イエスの十字架の贖いによって、今は命の光を持って歩むことができるようになりました。世の光として光を輝かせて歩みましょう。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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