バイブルメッセージ Bible Message

弱さを克服するキリストの力

2016年 5月 11日

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』」(Ⅱコリント12・9)

 

弱さの中でこそ、働くキリストの力

 

使徒パウロには、どうにかして取り除いてもらいたい「とげ」と呼んでいる病、弱さがありました。「わたしの身に」とパウロは言っておりますから、肉体的にダメージを与えるものであったことが分かります。ある人は、マラリヤの後遺症だとか、あるいは目の病気だと言います。

 

パウロは、それを取り去ってくださいと主イエス様に3度祈ったのです。3は聖書で完全数ですから、徹底的にこのために祈ったのです。すると、主イエス様は「わたしの恵みはあなたに十分である。(わたしの)力は(あなたの)弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」とお答えになられたのです。十分とは、余すことなく、完全にという意味です。

 

パウロのとげは取り除かれませんでした。しかしパウロは、キリストの力について新しい発見をしたのです。キリストの力はその弱さの中でこそ、十分に発揮されるのであり、弱さが取り去られることではないことを。だからパウロは9節の後半で「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」と述べているのです。

 

パウロはこのとき、イエス様の十字架を、イエス様が飲み干した苦い杯のことを思い起こしていたでしょう。イエス様は、十字架に向かわれる直前、ゲッセマネで弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」と言われ御自分の弱さをさらけ出しておられるのです。そして「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願い通りではなく、御心のままに。」と祈られました。

 

父なる神は、主イエス様から、十字架という苦い杯を取り去りませんでした。でも、この杯を飲むことに耐える力をイエス様に与えました。人々の目には、愚かで、弱いと思われたキリストの十字架を通して、神の力、復活の力が生み出されました。

 

イエス様の十字架の死は、弟子たちのすべての希望を奪ったかに思えました。でも、復活の新しい朝がやってきました。命を与えたイエス様は、復活の主として、命を与える方となられました。キリストの力は、今、聖霊様を通して、全世界の人々に届けられ、日本の私たちにも届けられているのです。パウロのとげ、弱さは取り去られませんでした。しかし、弱さを身にまとった中で書き記した手紙は、やがて、新約聖書の一部として、神の言葉として、世界中の人にキリストの力を与え続けているのです。

 

内に宿るキリストの力

 

なぜでしょう。キリストの力は、わたしたちの内に宿るからです。もう一度、9節の後半をご覧ください。「だから、キリストの力がわたしたちの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

 

わたしたちが、主イエス様を信じているならば、その人には、例外なく聖霊様を通して、キリストが宿っておられるのです。でもそのとき、わたしたちが聖霊様を所有している状態ならば、わたしたちの力がまさっています。自分勝手で、傲慢なわたしたちの力に頼っています。聖霊様がわたしたちを所有しているとき、わたしたちがどんなに弱くても、いや弱いからこそ、キリストの力が十分に、完全に働くのです。

 

それゆえ、パウロは言っているのです。「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

 

わたしたちは、弱いときにこそ、キリストにあって強いのです。キリストは、わたしたちから、弱さ痛みを除かれるのではなく、それに耐える力を与えてくださいます。なぜならキリストの力とは、十字架から溢れ出る力だからです。そして、わたしたちが弱いときこそ、聖霊様がいよいよ、わたしたちをご支配されるので、キリストの力が働くのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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