バイブルメッセージ Bible Message

打ち砕かれた人に命を得させる神(イザヤ57・15)

2018年 6月 1日

 

その名を聖と唱えられる方

 

イザヤ書57章15節の前半部分には「高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み……」とあります。神様が聖と唱えられるのは、単に罪がない、汚れがないということだけではなく、人とかけ離れた超越した存在であるということです。

 

人間同士見比べて、あの人は凄い、優秀な人だなどと言います。最近は、アメリカメジャーリーグで活躍している大谷選手のプレーの凄さ、マナーの善さ、欠点がない、異次元の世界から来たなどと何もかも誰もが称賛しています。確かに素晴らしい選手であり、わたしも個人的に大変好感を持っています。しかし、それでも彼を目標にし、追い越す人が将来現れるでしょう。

 

しかし、天地創造の神、聖と唱えられる神は、わたしたちがどんなに背伸びしても、何をしても到達不可能、誰も近づくことのできない超越したお方であるということです。

 

へりくだる霊の人と共にあり命を得させる方

 

ところが、15節の後半で、その聖と唱えられる神はこう言われるのです。「打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ 打ち砕かれた心の人に命を得させる。」と。もし、人がへりくだるならば、その聖なる神は、その人と共にいてくださり、一緒に住まわってくださるのです。

 

なぜ、預言者イザヤは、近寄ることができない聖なる方、超越した方が、へりくだる者と共にいてくださり、命を得させることができると言われたと確信を持って語ることができるのでしょうか。それはイザヤ自身が経験したからです。預言者としてイザヤが召し上げられたとき、彼は、偶像崇拝に陥り罪に汚れた民に向かって、「災いだ、災いだ」と叫びました。イザヤは、超越した神の預言者、代弁者だと自負しながら、罪に汚れたイスラエルの民を裁いていたのです。

 

ところが、御使いセラフィムさえも、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と賛美する、自分の顔を覆わざるをえないほどの超越した聖さを仰いだ時、イザヤは、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。」(6・5)と叫んだのです。イザヤは、聖なる神の前には、自分の汚れを知るしかありませんでした。「滅ぼされる」とは、滅ぼされてしまったということです。イザヤ自身は、打ちのめされ、木っ端みじんに砕かれてしまったのです。しかし、そんな自分にセラフィムの一人が祭壇から火を持って近づき「見よ、これがあなたの唇に触れたので あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」と言ったのです。

 

つまり神は古いイザヤを滅ぼし、打ち砕かれ、へりくだった霊のイザヤの口に火を触れさせ、罪を赦し、聖め、命を得させたのです。

 

そして、この聖なる神は、御子キリストとして御自身がへりくだって人となられ、わたしたちの罪のいけにえとして十字架に御自身をささげ、御子を信じる者が命を得る道を切り開かれました。さらに聖霊様が、炎のように降ってくださり、罪、汚れを焼き尽くし、わたしたちの心を住まいとしてくださったのです。超越した神は、へりくだり、打ち砕かれた霊の人の内に住まわれ、命を得させ、神様の愛の偉大なる業を賛美する心と唇を与えてくださったのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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