バイブルメッセージ Bible Message

生きるとはキリスト

2016年 7月 6日

「わたしにとって、生きるとはキリストであり……」(フィリピ1・21)

 

「生きるとはキリスト」とは、どういうことでしょうか? それは、キリストのために生きるとか、キリストを目指して生きるというのとも違うのです。「生きるとはキリスト」とは生きることとキリストがイコールであるということです。それは、パウロにとって常に「わたしの身によってキリストが公然とあがめられる」(20)ということです。キリストがあがめられるとは、拡大される「マグニファイ」ということです。わたしたちの内で起こっている神様の素晴らしい御業を、この身によって、世の人に拡大して見せることができるということです。しかし、パウロが言っている「わたしの身」肉体は、正直に言えば、ぼろぼろの体です。眼病で目が悪く、マラリヤにかかった後遺症に悩まされていました。しかも今、劣悪な牢獄に入れられ健康状態も悪い。けれども、パウロは、そんな自分の身によって、キリストが公然とあがめられるように、拡大されるようにと切に願っているのです。

 

なぜか。この私「パウロ」のために、主イエスは十字架で死なれ、尊い血潮を流された。痩せた御体に追い打ちをかけるように鞭打たれ、釘で打ち付けられ、血を流された。しかし、その御体において、このわたし(パウロ)の罪を背負い、罪を贖ってくださった。それは、その贖われた私のこの身によって、わたしの内におられるキリストが公然とあがめられる、拡大されるためだからです。

 

6月22日にお召されになった久保ヤヱ子姉が、やわらぎ2012年3月号で「米寿の恵み」にこう記しておられました。「透析12年にならんとしております。クリニックで、久保さんが元気なのは神様がついているから、またお仲間からは、信仰だよと言われ、それを言われた時、私でもお証しができたのか、と天にも昇るような嬉しさでした。」

 

ヤヱ子姉は「キリスト我内に在りて生くるなり」(ガラテヤ2・20文語訳聖書)の信仰で、いつも笑顔で人々を励まし力づける方でした。ヤヱ子姉の「この身」とは、16年間の透析によって、大変な弱さを身にまとっておられました。けれども、ヤヱ子姉の信仰の生涯を覚えるとき、パウロがフィリピの手紙でいっている「この身によって、公然とキリストがあがめられる」というのは、こういうことだと思いました。

 

わたしたちにどんな弱さがあっても、何があっても、わたしたちの身によって、キリストが公然とあがめられる。それが、生きるとは、キリストです。そして、その信仰の生涯の内に、人々はキリストを見るのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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