バイブルメッセージ Bible Message

霊的な岩なるキリスト

2015年 9月 28日

「・・・この岩こそキリストだったのです。」(一コリ10・4)

 

神への感謝を忘れたイスラエルの民

 

イスラエルの民は、荒野で、あれがない、これがないとモーセに不平不満を訴えます。モーセが神に祈ると、神は、マナ、うずらを与え、「水がない」訴えれば、岩から水が流れ出しました。

 

そして、民数記20章で、イスラエルの民は、再び、水がないとモーセとアロンに向かって不平不満を、いや今度は、徒党を組んでやってきて、非難したのです。

 

イスラエルの民は、神の偉大な御業によって、エジプトの奴隷から解放され、荒野でも、神は必要を満たしてくださいました。しかし、そのことを感謝する心を失った民は、絶えず不平、不満を言い、挙句の果てにはモーセを非難したのです。

 

モーセのつまずき

 

そのような民の不平、不満、非難は、遂には神の偉大な指導者モーセを憤らせて、つまずせたのです。主なる神は「彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。」(民20・8)とモーセに言われたのですが、このとき、モーセは、神様の言われた通りではなく、彼の心の憤りをぶつけるかの如くに、岩を二度打ってしまったのです。すると、主なる神は、こう言われたのです。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人人の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」

 

このことに故に約束の地には登っていけないとは、モーセのこれまでの労苦を考えるならば、人間的な思いでは、それは、ないでしょうと言いたくなります。

 

霊的な岩なるキリスト

 

以前、民が「水がない」と訴えたとき、神様は、モーセに岩を打てと言われ、今回は、「岩に向かって、水を出せと命じなさい」と言われました。使徒パウロは、「皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについてきた霊的な岩からでした。この岩こそキリストだったのです。」(?コリ10・4)と述べています。

 

神様が打てと言われた出エジプト記17章の「岩」に使われている言葉は、低いところに位置する岩です。それは、謙って人となられ、40に一つ足りないほど、鞭で打たれ、十字架につけられ、尊い血潮を流された苦難の僕としてのキリストを指し示しているのです。

 

民数記20章の「岩」は、高いところに位置する岩です。この岩は、既に十字架の贖い完成し、死者の中から復活させられ、天に昇られ、父なる神の右の座におられる栄光のキリスト・イエス様を指し示しています。

 

ですから「岩に向かって・・・命じなさい」とあるように、ただ、御言葉を信じ、祈り求めるだけで良いのです。なのに、モーセは、岩を二度も叩いてしまったのです。それで、神は、モーセに「わたしを信じることをせず、聖なることを示さなかった」と言われたのです。

 

しかし、驚くべきことに、人間の自分勝手な行為が混ざる中でも、水は出ました。霊的な岩キリストは、不信仰な者を決して見捨てないというしるしです。イエス様は、弟子のシモンの信仰告白を聞いた後、彼をペトロ(岩)と名付けました。しかし、ペトロはその後、イエス様を知らないと否み、つまずきました。

 

でも、イエス様は、ペトロを見捨てませんでした、彼は、イエス様を信じる者に変えられ、聖霊の宮となり、彼の内から生ける水、聖霊が溢れ出す岩となりました。人間の不信仰によっても、イエス様のご真実は変わらないのです。わたしたちを愛し、罪を赦し、生ける水を注いでくださり、もう一度、キリストを証しする岩として下さるのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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