No.0213
毎週/更新

「行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐにする」(イザヤ42・16)
「聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマ15・13)

明けまして、おめでとうございます。
この年も、御言葉が私たちに先立ち、すべてが御言葉に導かれたことを信じ、感謝して進みたいと思います。

昨年は、未曾有の大震災に見舞われ、すべてが闇にのまれていく思いでした。復興地の現状は未だ困難を窮めています。しかし、私たちは御言葉のゆえに、心まで闇に支配され、歪められてはなりません。御言葉のゆえに、希望を抱き続けて導かれて参りたいと思います。

浅草橋教会の今年の御言葉は、上記の二つが、講壇正面右手と左手に掲げられています。主は私たちの闇を「光に変え」、曲がった道を「まっすぐにする」と約束しておられます。主がそのように約束しておられる以上、そのことは必ず成ると信じて進むこと、これが信仰であります。

イザヤ書42章は、「僕の歌」と呼ばれています四つの歌の最初のものであります。この個所には、バビロン捕囚からの解放と神の勝利が歌われています。10節の、「新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え」とは、苦悩に打ちひしがれているイスラエルの民への主からの激励であります。「わたしはこれらのことを成就させ、見捨てることはない」(16節)とは、何にも勝る主からの心強い約束、またそれを成し遂げてくださるという確かな保証であります。

新しい年を迎えましたが、私たちの内に「闇」はないでしょうか。「曲がった」ところはないでしょうか。正直に主の前に出て、真実に悔い改めることをイスラエルの民は求められたのであります。それが17節以下の主からの語りかけです。私たちも例外ではありません。すべては、主との関係を真実にすることにかかっているのです。

どうすればそのように導かれるのでしょうか。パウロは、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」と祈っています。

私たちを「希望に満ちあふれさせてくださる」のは、聖霊なる神御自身であります。これがパウロの信仰でした。私たち人間の力には弱さや限界があります。昨年のような大震災の前にはひとたまりもなく、為す術がありません。

しかし「聖霊の力」は無限です。私たちが聖霊に満たされて歩むこと、このことを神は望んでおられます。イエス様が公生涯に立ち上がられたとき、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。聖書はその時の光景を、「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(ルカ3・21−22)と述べています。

神の御子の御生涯、それは聖霊に導かれていくという約束です。その証拠にイエス様はそのすぐ後に,ユダの荒れ野で悪魔の誘惑に遭われますが、聖書はその時の様子を、「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになぅった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた」(同4・1−2)と述べています。

主イエスが悪魔の誘惑に勝利されたのは、「聖霊の力」によることを示しているのです。私たちもこの年、「聖霊の力」によって、「行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐに」していただきましょう。そして「聖霊の力」によって、「希望に満ちあふれさせてくださる」ことを信じて歩みたいと思います。

皆様方に、そのような祝福が上より注がれる一年でありますよう、祈ります。


ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・黒木 安信)