No.0212
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「神の熱意は愛」

イザヤ書9章1節以下は、ダビデの子孫から救い主が生まれるという有名なメシア預言です。このことが実現するのは、ひとえに「万軍の主の熱意」であると、イザヤは断言しています。

今年のアドベントは、東日本の大震災を覚えつつたどられています。イザヤが語った時代、イスラエルの民は「闇の中を歩ん」でおり、「死の陰の地に住ん」でいました。しかしイザヤはその明日に、その彼方に、「大いなる光を見」、「光が輝く」のをはっきりと捉えていました。何の手掛かりもないのに、ただひたすら神だけを頼りに信じて進む、それが預言者の信仰でした。

この信仰が今、私たちにも求められています。何かの見通しによって信じていくというのは信仰ではありません。何の見通しもないのに、何の保証もないのに、人から笑われ、馬鹿にされるかも知れない。しかし、ただひたすら神だけを信じて、今できる最善を果たしていく。それが預言者の信仰でした。私たちもそのような信仰を与えられたいものです。

イザヤの預言は続きます。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」と。明日に望みを置く、預言者の信仰です。実に驚くべき信仰です。

イザヤはこの事が実現する根拠を、「万軍の主の熱意」に置いています。「万軍の主」とは、もともと、「イスラエルの軍隊を導かれる主なる神御自身」のことです。つまり神はその御心をこの歴史に成し遂げて行かれるために、「戦いの神」として臨まれると。しかし後には、「天地万物」を創造し、支配していかれる神として受けとめられています。

イザヤはその神の「熱意」「熱情」「熱心」がこの事を成し遂げると確信していました。そしてこの預言は、イザヤの時代からおよそ700年後に、御子イエスの御降誕として実現しました。

それだけではありません。神のこの熱意は、御子イエス・キリストを通して、十字架の御業を成し遂げ、私たちのすべての重荷や痛み、苦しみ、そして何よりも神に背いている罪を赦し、贖い、神との交わりを回復してくださったのです。

御子は三日目に死者の中から復活し、死に対する決定的な勝利を明らかにされました。人間の罪が赦され、死が滅ぼされ、神との新しい交わりが回復する。これ以上の喜び、感謝、慰め、希望はありません。

私たちはこのアドベントに、そうした神の熱意がイエス・キリストの十字架と復活の大いなる御業によって、神の愛をもたらして下さったことを覚え、私たちもそのような熱意を、聖い愛を信仰によって与えられ、小さくありましても、「地の塩・世の光」としての役割を果たしていきたいと、祈らずにはおれません。


ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・黒木 安信)