バイブルメッセージ Bible Message

どうして、そんなことがありえましょうか(ルカ1・26~38)

2020年 12月 1日

天使がマリアに現れこう告げました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」そして更にこう告げるのです。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 

神の恵みとは何か

天使は、マリアに「恵まれた方」と呼びかけ、そして、更に、「あなたは神から恵みをいただいた」と告げました。神様の視点では、マリアに告げられたことが恵みであっても、その恵みを受け取る側のマリアにとっては、すぐ素直に受け取ることのできるものではありませんでした。自分が子を宿し、しかも、その子がいと高き方の子と呼ばれる。そのような子の母となることは、光栄なこと。すごく名誉なこと。そんなふうには考えられません。何よりも、子どもを宿すならば、いいなずけのヨセフはどう思うだろうか。説明して理解してもらえるのだろうか。自分が子どもを宿していることが明るみに出れば、人々は何と思うだろうか、そう思うと恵みではなく、単に恐ろしいことでした。しかし、マリアにとって最悪のように思えることが、神の視点では最高の恵みとなるのです。 

恵みですから、そのまま受け取るしかないのですが、神の恵みは高価な恵みで、受け取った人に責任と犠牲が伴うのです。

 

神の恵みはどのように受け取られるのか

それでは、マリアは、どのようにして高価な恵みをいただいたのでしょうか。それは、「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」との正直な問いかけから始まりました。

これは、そんなことあるはずがないと否定しているのではありません。私に分かるように教えてくださいという問いかけです。

天使はまず、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」天使は、「聖霊……の力があなたを覆う」と答えました。

神の恵みをいただくとは、神の力に覆われるということです。どんな苦難が待っていても、自分の力で道を切り開くのではなく、神の力、聖霊の力に覆われて歩むことができるとマリアに告げられました。聖霊は神です。そのお方の力に覆われました。天使は、マリアに現れたとき、「主があなたと共におられる」と言いました。神の恵みは、その方の力に覆われるということです。神の恵みをいただくとき、その人に責任と犠牲が伴いますが、同時に神が責任を持ってその人の全生涯を支えると告げたのです。

 そして、恵みをいただいた者は、目に見える形で、神の恵みの業の目撃証人となります。天使は、更にこう告げます。「あなたの親類のエリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」

 マリアは、この後、急いでエリサベトのところに行き、確かにエリサベトの胎内に子が宿っていること、また、エリサベトのマリアへの祝福の言葉(ルカ1・42~45)を通して、大きな励ましを得ました。

 そして天使はマリアに「神にできないことは何一つない」と告げ、その場を離れました。いと高き方の力、聖霊の力に覆われ、神の恵みの業の目撃証人となっていくとき、「神にできないことは何一つない」ことを体験していったのです。

 

 神の恵みへの応答

 この天使の言葉を聞いて、マリアはこう答えました。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」新共同訳聖書では、「わたしは主のはしため」つまり、「私の主のもの」ですと応答し、自分自身を神と神の言葉に委ねました。

 マリアは、神の恵みによって、自らをささげ、神の御子を宿し、御子イエスを育て、そして、救い主イエスの公生涯、十字架と復活、昇天すべての目撃証人となりました。

 マリアは、主の十字架をその目で見届けました。たとえ、主イエスが、この世でご自身の命をささげ、全人類の罪の代価を支払うために来られたことを悟っていたとしても、マリアの心は張り裂けんばかりでした。しかし、神から恵みをいただいた者として、自分が神から託された責任、犠牲は、御子イエスを通しての愛の犠牲、愛による代価、高価な恵みが明らかにされるためであったと受け止めていくのです。

 私たちは、その主イエスの十字架で流された尊い血潮によって、買い取られたものです。それほど、私たちは主に愛されているお互いです。そして今、聖霊を通して、御子イエスを宿す器なのです。

 マリアの天使への「どうして、そんなことがありえましょうか」という問いかけは、神の高価な恵みを体験する中で、「どうして、これほどまでの恵みを私に与えてくださったのですか」という恵みへの感謝の言葉に変わっていったに違いありません。

 私たちもこの一年「どうしてそんなことがありましょうか」と神に祈りました。しかし、苦難の中でも、私たちは神の恵みをいただいたのではないでしょうか。「どうして、これほどまでの恵みを与えてくださったのですか」と数々の恵みを感謝する者として、この一年を締めくくりましょう。   

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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