バイブルメッセージ Bible Message

祝福ととこしえに及ぶ命を定められた主(詩編133編1~3)

2023年 5月 16日

「都に上る歌。ダビデの詩。兄弟が共に住むことは、何という幸せ、何という麗しさ」(1)

「都に上る歌」とあります。年に一度、または数回、過越しの祭りなどのとき、人々は聖なる都エルサレムを目指しました。自分の家を出たときは、数人の家族だけであったのに、その群れはどんどん増え、エルサレムに到着する頃には大きな群れになりました。彼らは一つの群れとなって神を礼拝する民として集められました。

 

「兄弟が共に住む」とありますが、これは、主にある兄弟姉妹が共に座るという意味があります。同じ空間に腰を据えて座り込んで親しく交わることなので、「共に住む」と表現するほどなのです。礼拝、祈祷会、教会学校に来たら、すぐに帰りたくない。もっと一緒に時間を過ごしたい。ここに留まりたい。それが教会の本来のあるべき姿で、主はその教会を祝福してくださるのです。

 

それでは、主はどのように、共に住む人々を祝福され、とこしえに及ぶ命を定められるのでしょうか。

「頭の上に注がれたかぐわしい油のようだ。それは、ひげに滴り落ちる。衣の襟にまで垂れるアロンのひげに」(2)

旧約の時代、一般の祭司の任職式では、任職の油は振りかけられましたが、大祭司の任職式のときには、頭の上から油がたっぷり、惜しみなく注がれ、その油はひげに滴り落ちました。

 

この油は、神の霊、聖霊様が豊かに臨まれる、その霊に満たされることを意味します。しかし、聖霊の油注ぎは、特定の人だけに注がれるのではありません。共に住むすべての人に聖霊の油が注がれることをこの詩編133編2節は告げているのです。振りかけられる程度ではなく、滴り落ちる程です。

 

主イエスは十字架に命をささげられ、その尊い血潮によって、全人類の罪を贖われ、死者の中から復活され、弟子たちに「父が約束された聖霊が降るのを待ちなさい」と言われ、彼らの目の前で天に凱旋していかれました。

 

その後、弟子たちは一つになって熱心に祈りました。まさに共に住み、共に座って祈ったのです。そのところに聖霊が降り、一同聖霊に満たされました。教会が一つになって御言葉を聞き、一つとなって賛美し、一つとなって熱心に祈る大切な時です。主は、その群れを祝福し、聖霊の油を注いでくださいます。

 

「ヘルモンの露のようだ。それは、シオンの山々に滴り落ちる」(3)

シオンの山々は、エルサレムの近くですからヘルモン山からは、150キロ以上の距離があります。イスラエル聖地旅行でヘルモン山のふもとからエルサレムに戻ってくるのに少なくとも2時間はかかりました。ヘルモン山の露はヨルダン川に流れ込み、ガリラヤ湖を通り、更に下ってエルサレムへと運ばれていくのです。

 

共に住む、共に座すところのキリストの体なる教会に注がれた祝福は、ヘルモン山の露がシオンの山にまでも滴り落ちるように、広がっていくのです。

 

「主はそこで祝福ととこしえに及ぶ命を定められた。」(3)

「そこで」とは、兄弟が共に住むところ、共に座する所、共に礼拝し、祈り、聖なる愛の交わりを持つ所、キリストの体なる教会です。主はそこで祝福と永遠の命を定められたのです。祝福は滴り落ちる。どんどん下に下にと流れていきます。共に住む者たちが、共に主の前にへりくだるとき、祝福は滴り落ち、更に広がるのです。聖霊の助けによって謙遜と柔和の限りを尽くし一つの体とされたのが教会です。そこに神の祝福が滴り落ち、神の祝福と命が全世界に届けられるのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

テレホンバイブルメッセージ 同じ内容のメッセージを電話でも3分間、聞くことができます。 03・3865・3307