岩なるキリストを土台として
2024年 11月 1日「そこで、私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7・24)
ルカによる福音書6章47~48節には、この箇所の並行記事があります。
「私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。洪水になって水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、びくともしなかった。」
岩の上に家を建てる賢い人とは、地面を深く掘り下げて岩の上に土台を据える人です。パレスチナ地方の地形は、巨大な岩盤の上に土が堆積しているので、乾季のの夏に、安易に家を建てると、冬の雨季の大雨による洪水で家が押し流されることが当時実際に起こりました。しかし、地面を掘り下げていくと岩盤に到達し、そこを土台とした家は、洪水で土砂が押し流されてもびくともしませんでした。
さて、この岩という土台は何を指し示しているのでしょうか。
『家を建てる者の捨てた石 これが隅の親石となった。これは主がなさったことで 私たちの目には不思議なこと。』(マタイ21・42)これは詩編118編22~23節の引用ですが、「家を建てる者」とは、神に選ばれた民、イスラエルの民です。彼らは、主イエスを信じることができずに「十字架につけろ」と叫び、十字架につけ、主イエスは「捨てられた石」のようになられました。しかし、死者の中から復活させられ、隅の親石となられたのです。
「あなたがたは使徒や預言者から成る土台の上に建てられています。その隅の親石がキリスト・イエスご自身であり、キリストにあって、この建物全体は組み合わされて拡張し、主の聖なる神殿となります。キリストにあって、あなたがたも共に建てられ、霊における神の住まいとなるのです。」(エフェソ2・20~22)とあります。
ですから、岩の上に家を建てた賢い人とは、イエス・キリストの言葉、愛の福音の言葉を聞いて、主イエスを信じた人であり、その人たちが呼び集められた共同体、教会の土台は主イエス・キリストなのです。
教会の年間聖句は「平和を造る人々は、幸いである その人たちは神の子と呼ばれる。」でした。この御言葉は、どのように私たちを通して、実践されているでしょうか。平和の君である。主イエスが土台、岩、隅の親石です。私たちは、その土台の上に組み合わされ、平和を造る者として、主を証しする者でありましょう。