高価な恵み
2024年 12月 1日「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1・28)
全く身に覚えのないとき「おめでとう」と言われたマリアは戸惑います。
すると天使はこう言いました。「マリヤ、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。」(30~32)
マリヤの戸惑いは的中しました。天使は、「あなたは、いと高き方の子、つまり神の御子を身ごもる」と告げたのです。
恵まれた方
マリヤは、「いと高き神の御子を身ごもる」という大いなる恵みを与えられたのです。恵みとは、私たちの功績、努力、成し遂げたことによらない、一方的に与えられるから恵みなのです。しかし、神の恵みを受け取る者には、責任が伴うのです。
マリヤの場合は、御子イエスを生み、育てることです。しかし、絶対に身ごもってはいけない時期に子を宿すことになり、それはとても周りの人に理解され難いことですから、この恵みは、安易に受け取り難いのです。
それでマリヤも「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」(34)と天使に問いかけます。
もし、本当にいと高き方の子を宿し、そのことが明るみになれば、まずヨセフはなんと思うだろうか。ナザレの町の人々が知れば、どうなるのか。当時の法律では、夫ヨセフに大恥をかかせるだけでは済まされない、自分が石打ちになるおそれがありました。
神の恵みは一方的に与えられるから恵みなのですが、受け取った者に大きな責任が伴うのです。安価な恵みではなく、高価な恵み、犠牲を伴う恵みなのです。
主が共におられる
神の恵みに戸惑うマリヤに、天使は更にこう言うのです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。……神にできないことは何一つない。」(35~37)
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う」と天使はマリヤに告げました。
これから先どんなことが待っているのか、分からないことだらけでした。想像を絶する過酷に思える生涯になることだけは確かでした。しかし、マリヤは、主なる神は最後まで共にいてくださることを信じ、不可能を可能にする神にすべてを委ねました。何もかもお任せしました。高価な恵み、責任と犠牲を伴う恵みを受け取る決断をし「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」(38)とすべてを委ね、御子を宿すという高価な恵みにあずかったのです。
私たちも御子イエスの十字架の贖いによって罪赦され、聖霊を通して御子を宿すという恵みにあずかっています。その恵みも高価な恵み、責任と犠牲を伴う恵みであることを忘れずアドベントを辿りましょう。