良い実を結ぶ良い木に結ばれて
2025年 4月 1日「偽預言者に注意しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。」(マタイ7・15)
「偽預言者に注意しなさい」と主イエスは言われました。偽預言者は、羊の衣を着て近づいて来る。始めから狼の姿でやってくれば、危ないと思って皆逃げて近づかないでしょう。しかし羊の衣を来てやってくる。優しそうで、親切そうで、きっと何か良いことをしてくれると期待させるのです。
羊の衣を着た偽預言者は、実は、自分のことしか考えていない。自分のために、自分に目を向けさせるように、あるいは、自分勝手な考えに人々を引き込み、騙そうとするのです。どうすれば、私たちが偽物と本物を見極めることができるのでしょうか。
テレビ番組で「お宝鑑定」という番組があります。家で大切にされている掛け軸や、絵画等を持参し、専門家がそれを鑑定するのです。ときに、本当に価値ある掘り出しものがあって、何百万という値がつくのですが、その反対に、実は偽物で、数千円の価値しかないことが分かることがあります。正しい目を持った鑑定士だからこそ、見分けることができるのです。
さて主イエスがここで言っている本物か偽物かの鑑定方法は、生み出される実にあるのです。
「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(16~17)
良い実の「良い」とはどういうことでしょうか? 良いとは美しいとかおいしそう、賢いという意味がある言葉です。例えば、おいしいそうな柿をかじったら、渋柿で思わず口から吐き出すということがあるでしょう。
良い実かどうかを見極めるためには、その実が結ばれている木を見れば分かるのです。
主イエスは、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、何もできないからである。」(ヨハネ15・5)と言われました。
主イエスにつながるということは、イエスが良いことを言っていたとただ、その言葉を思い起こすことではありません。イエスを過去の偉大な人物と見ることでもありません。もちろん、主を模範とすることは素晴らしいことですが、ただ主を模範として、その教えに生きることでもありません。
ぶどうの木と枝がつながる。それは、私たちの体にたとえるならば、手足が私たちの体の一部であるということと同じです。
イエスが私たち一人一人をかけがえのない存在として、愛し、私たちが豊かな実を結ぶ一人一人となるために、ご自身のすべてを与えてくださったことを信じ、そのイエスにしっかりと結ばれて、生きること、それが、イエスが言われた、「わたしにつながっていなさい」ということです。
つまり私たちが、御言葉と祈りを通して、キリストの体なる教会を通して、人格的に深い交わりを主イエスと持つということです。
その中から生まれるものが良い実なのです。
ところで「偽預言者に注意しなさい」という御言葉は、私たち一人一人が、偽預言者に惑わされないように注意すると共に、私たち自身がイエスを主と告白し、イエスにしっかりとつながって、良い実を結んでいるか、愛、喜び、寛容、慈愛などという御霊の実を結んでいるかという問いかけでもあるのです。
だから、イエスは7章21節でこう述べているのです。「私に向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。」と言われたのです。
私たちは、いつも新鮮に、信仰告白を告白する者でありたいのです。
そして、父の御心を行う者、それは、イエスの御心を行う者。それは、愛の実を結ぶ者ということです。
そのために大切なことは、主イエスにしっかりつながっている自分であるかをいつも御言葉に照らし、この世の何かに流されていないかと吟味しながら歩むことです。良い実を結ぶ良い木、主イエスにしっかりつながって、その命に生かされるために、御言葉にしっかりと立って歩ませていただきましょう。