バイブルメッセージ Bible Message

さあ、来て、朝の食事をしなさい

2025年 5月 1日

ペテロと弟子たちを見守られ、導かれる復活の主
「シモン・ペトロが、『私は漁に出る』と言うと、彼らは、『私たちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も捕れなかった。すでに夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかっ
た。」(ヨハネ21・3~4)

イエスの弟子として召し上げられた日も夜通し漁をして一匹の魚も捕れませんでしたが、今回も何も捕れなかったのです。その彼らを復活の主は、ガリラヤ湖の岸辺に立って見守っておられ「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」と尋ねたのです。弟子たちが「捕れません」と答えると、「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」(6)右は、神の力、神の臨在の場です。彼らが神を信頼して、事を行う場所です。彼らが網を降ろすと、魚がいっぱい捕れました。
弟子たちに復活の主がご自身を現された、これが三回目ですが、弟子たちは、主を見て喜んでもその場限りの信仰でした。自分の力でもがいていました。何も捕れませんと答えるしかありませんでした。そんな彼らを復活の主イエスは岸辺に立って見守り、御言葉を持って、神の愛と恵みの領域で事を行うよう導かれたのです。主は今も変わらず、私たちの人生の航海を見守りながら、「左側という自分よがりの方法に頼らず、右側に、つまり神の恵みの側に網を打ちなさい」と言っておられるのです。
ペテロの傷に触れて癒やされる復活の主
あまりの多くの魚が捕れたとき、岸辺に立っておられた方が復活の主イエスであることに、ヨハネがいち早く気づき、弟子たちは岸に戻りました。そして「陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚が載せてあり、パンもあった。」(21・9)魚を焼くために炭火を起こすのは自然なことです。肌寒い朝、炭火は、彼らの体を温かくしました。ペトロは少し前にも外で火にあたりながら過ごしたことがありました。それはイエスが捕えられ、これからどうなるのか、大祭司の家の中庭で様子を伺っていた時でした。ペトロは、その火の目前で、イエスを知らないと三度言ったのです。主が用意した炭火は、ペトロの過去の失敗を思い起こさせ、その傷に触れました。しかしその火は、その傷ついた心を癒す愛の炎でもありました。
復活の主は、ペトロと弟子たちに「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われたのです。一緒に食べて、飲んで、交わりました。ペトロは、イエスの愛のもてなしを受けながら、その心は癒されていきました。
ペトロは大きな挫折、痛みを通りましたが、復活の主は、弟子として不適格の烙印を押さず、彼を励まし、回復させ、新たな使命を与えました。主イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と。様々なことに傷つき傷んでいる私たちを招かれ、霊の糧である御言葉を聞かせ、私たちを癒し、回復させ、新しい使命に生きる者としてくださるのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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