バイブルメッセージ Bible Message

主になる神の宝になる私たち

2025年 2月 1日

「それゆえ、今もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたがたはあらゆる民にまさって私の宝となる。全地は私のものだからである。」(出エジプト記19・5)
「私の声に聞き従い、契約を守るなら」とありますが、それは条件を付けているのではなくて、私たちが主なる神の御声を聞き、主を信頼し、主の御手に握られて共に歩むとき、正真正銘、あなたは私の宝となると、神は言っておられるのです。
そして、イスラエルの民が「あらゆる民にまさって私の宝となる」とありますが、それは、彼らが特別な存在で、他の民族はそうではないということではありません。
神はモーセに「全地は私のものだからである」と言われています。それは、イスラエルの民が、主なる神の宝となり、主なる神が如何なるお方かを彼らが指し示すことによって、すべての民が「私の宝となる」ことを望んでおられるからです。
「主なる神の宝となる私たち」には2つの特徴があります。「そしてあなたがたは、私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。」(19・6)
祭司の王国
祭司は、神と人との間を取り持つ仲保者で、神との親しい交わりを持ち、神の言葉を聞き、それを民に伝え、分かち合う者です。モーセは、頑なな民のために、何度も神に執り成しの祈りを捧げ、神の言葉を聞き、それを民に告げました。
祭司は、人の罪の犠牲、いけにえを民に代わってささげました。神の御子イエスは、罪人が神と和解するために、ご自身を完全ないけにえ、犠牲として十字架でささげ、死をもって人間の罪を滅ぼし、死者の中から復活させられ、永遠の神の大祭司として私たちを導いておられます。ですから新しいイスラエル、キリストの体なる教会こそが祭司の王国です。主なる神の宝となる私たちは、キリストの体なる教会という祭司の王国を建て上げる一員なのです。

聖なる国民となる
そして、主なる神の宝となる私たちは聖なる国民です。「あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖なる者だからである」と神は繰り返し語られ、ご自身を現わされました。神は恵みと慈しみ、憐れみに満ちた愛の神です。聖なる愛のお方です。
人は神のかたちに造られました。父子聖霊なる三位一体の聖なる愛の交わりの内に存在し、働かれているように、その神のかたちに造られた人は、自分が神のようになれるという誘惑に人が負けて悪魔の言葉に聞き従ったとき、聖なる愛の神との交わりが壊れ、罪の堕落によって、人の内にある神のかたちが致命的なダメージを受け神の聖なる愛に生きることができなくなったのです。
神は、私たちに与えられた神のかたちが修復され、再び聖なる愛の神との交わりを回復するために、アブラハムを選び、その子孫から一つの民族イスラエルを祭司の王国、聖なる国民とするために選ばれました。その民族の中から、神ご自身が人となって来られ、罪の贖いを成し遂げられ、ご自身の体なる教会が聖なる国民として、キリストの品性、キリストの似姿を映し出す使命を担っているのです。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。」(ペトロ一、2・9)
神のものとなる、つまり神の宝となった私たちは、キリストに出会う前は、闇の中にいたのです。いや闇の中にいることに気づいていなかったこともありました。偽の光に騙されていたこともありました。
しかし、今は真の光キリストに照らされ、聖霊を通してキリストを宿し、内からもキリストの聖なる光を放つ国民として、キリストを指し示し、キリストの救いを広く伝えているのです。
祭司の王国として、聖なる国民としての教会は、愛の神と人々との間を、そして、敵意を向け合う人々の間を取り持つ存在なのです。
主なる神の宝となり、祭司の王国、聖なる国民として、主イエスの弟子として、主イエスの宝とするために光の中へと招き入れる使命を私たちは担っているのです。
私たちの世界は、自分たちが感じている以上に危機的な状況にあります。今こそ、神の宝、祭司の王国、聖なる国民であるキリストの体なる教会として、すべての民の内にある神のかたちが回復し、神のもの、神の宝となるために、この尊い使命を私たちが担わなければ、誰が担うのでしょうか。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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