バイブルメッセージ Bible Message

主の革袋に蓄えられる涙(詩編56編1~14節)

2020年 6月 24日

詩編56編は、ダビデの詩編です。「あなたは私のさすらいの日々を数えてくださいました。私の涙をあなたの革袋に蓄えてください。」(9)涙は蓄えられるのではなく、流れ出るものと思われがちですが、ダビデはそうは思っていませんでした。ダビデは主の前で、大量の涙を流しましたが、主なる神はその涙の理由をすべてご存知でした。神は御自身の内にある革袋にその涙を蓄えられました。

 

苦悩と痛みの涙

 

ダビデは、苦悩と痛みで涙しました。「神よ、私を憐れんでください。人が私を踏みにじり 戦いを挑む者が日夜私を虐げ 敵対する者が日夜私を踏みにじります。驕り高ぶる多くの者が私に戦いを挑みます。」(2~3)1節には、「ペリシテ人がダビデをガトで捕らえたとき」とありますが、ダビデは、サウル王に召し抱えられ、活躍する中で、ダビデに嫉妬され、遂に命を狙われるようになりイスラエルの領地を離れ、ペリシテ人の領地に逃げ込むのですが、そこで捕らえられ、踏みにじられ、虐げられるという二重の苦しみを味わう中で涙しました。

 

更に6節に「日夜、彼らは私の言葉を侮辱する。私に対する彼らの 謀(はかりごと)はすべて悪。」とあります。言葉を発すれば発するほどそれが自分にとって苦痛となる。なぜならば、何を語っても、その意味を捻じ曲げられ、本当の思いが相手に伝わらない、届かないどころか、かえって侮辱され、苦痛となる。ダビデは何度もそのような経験をしました。

 

信頼と賛美と感謝の涙

 

ダビデは、苦難と痛みに涙し、また神への信頼と賛美の涙を流しました。「恐れに捕らわれる日、私はあなたに信頼します。神によって、神の言葉を賛美します。神に信頼し、恐れることはありません。肉なる者が私に何をなしうるでしょう。」(4~5)ダビデは、苦難の中、恐れに捕らわれる日々を送っている中、あなただけを信頼しますと涙を流しながら告白しています。神によってとは、神の内にあって、守りの内にあってということです。

 

自分を苦しめる人々をダビデは恐れるのですが、涙を流しながら、神を信頼しますと告白する中で、神の内にあることが分かり、神を賛美する力が与えられ、恐れが消えていったのです。だから、苦難の涙は、信頼と賛美の涙となりました。

 

感謝の涙

 

そして、ダビデは、感謝の涙を流しました。「神よ、私にはあなたへの誓いがあります。私は感謝の献げ物によってそれを果たします。あなたは死から私の魂を つまずきから私の歩みを救い出してくださいました。神の前、命の光の中を進み行くために。」(13~14)ダビデは、肉体的には死を覚悟するほどでしたが、自分が踏みにじられ、虐げられても、彼の魂は永遠の滅び、死から救い出され、永遠の命の光の中を進み行くことができることを感謝し涙しました。

 

ダビデは、この詩編の中で、敵を倒してくださいと神に祈っている個所がありますが、神が相手を打ち負かしてくださったことへの感謝ではありません。苦難の中で、神がそばにおられ、流したすべての涙が、神様の袋に蓄えられている。愛されていることへの感謝です。

 

そして、神が私の苦悩、痛みと一つになってくださっていることが分かったとき、ダビデ自身、自分が不完全な罪人であることに気づくのです。神の前には、ダビデ自身も、ダビデに敵対する者も皆罪に汚れたものだからです。ダビデは苦しみの中、信頼と賛美の涙を流しながら、こんな罪深い自分を愛し、その魂を救ってくださる神への感謝の涙を流したのです。

 

神はこのダビデの子孫として、神の御子イエス・キリストをこの世に遣わされました。「キリストは、人として生きておられたとき、深く嘆き、涙を流しながら、自分を死から救うことのできる方に、祈りと願いを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。」(ヘブライ5・7)

 

罪と全く無縁の御子イエス様が、この地上に真の人となって来られたとき、深く嘆き、涙を流されました。主は、人間の罪、病、あらゆる痛み、苦悩を担い、十字架の死と共に葬り去ってくださいました。その主が流された涙は、罪人が一人も滅びることなく永遠の命を得るために、罪の贖いのための苦しみの涙ですが、同時に父なる神を信頼し続ける涙であり、遂に罪の贖いが成し遂げられ、すべての人に永遠の命に通ずる道が開かれたことへの感謝の涙でもありました。

 

ダビデが生きた時代、革袋は、主に葡萄酒を保存するために用いられました。そしてその革袋は動物の皮で作られました。ですから、動物の犠牲が伴いました。神様の懐にある革袋は、主イエスの十字架の犠牲による革袋なのでしょう。愛する皆さん、私たちは、様々な苦難に直面し涙しますが、その涙は、一滴も地に落ちることなく主の革袋に蓄えられています。そして、十字架と復活のイエス様、聖霊様を私たちの内に宿してくださった主が十字架で流された涙と私たちの涙が一緒になり、まるで化学反応を起こすかのようにして、信頼と賛美と感謝の涙に変わります。そして、私たちは癒され、立ち上がっていくことができるのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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